日本の主な研究者・プロジェクト
以下に、日本国内で能力構築競争の理解・分析に貢献してきた研究者・研究をいくつか挙げ、各々の研究内容を整理します。
| 研究者/プロジェクト | 所属/肩書等 | 主な研究テーマ | 能力構築競争との関係性 |
- 藤本 隆宏(ふじもと たかひろ)
- 主著:「能力構築競争 日本の自動車産業はなぜ強いのか」など。 (HMV Japan)
- 所属・略歴:経済学者。日本の自動車産業を中心に、技術能力・組織能力・制度との関係を実証的に分析してきた。
- 長岡 貞男(ながおか さだお)・塚田 尚稔(つかだ たかとし)・遠藤 志久真 らによるプロジェクト「知識の組み合わせと研究開発:国際的に見た日本企業のパフォーマンス」 (RIETI)
- 所属:RIETI(独立行政法人経済産業研究所)等。
- 福澤 光啓(成蹊大学 准教授等)による「日本企業のものづくり組織能力の構築プロセスと競争力に関する実証研究」 (KAKEN)
- 元橋 一之(RIETIファカルティフェロー等)による「産業競争力強化の視点―戦略の即応性・柔軟性カギ」やオープンイノベーション・サイエンス経済のテーマ (RIETI)
- 菊澤 研宗(経営哲学等の研究者)による「変化が常態化する世界で求められる日本企業のダイナミック・ケイパビリティ」などの記事・論考 (J-STAGE)
各研究の内容と貢献
以下、上記それぞれの研究が能力構築競争の理解にどのように貢献しているかを整理します。
藤本 隆宏:「能力構築競争 日本の自動車産業はなぜ強いのか」
- 主な内容:この著作では日本の自動車産業が長年にわたって国際競争力を維持できてきた理由を、「能力構築」の視点から分析している。特に、次の要素に焦点をあてている:
- 産業全体の協働体制:自動車部品メーカー、素材メーカー、電機電子部品会社など、多数の関連企業がサプライチェーンを通じて技術・ノウハウを相互に共有し、部分最適ではなく全体最適を志向すること。
- 現場改善(カイゼン)、品質管理、工程管理能力:生産現場での継続的改善を通じた能力の積み重ね。これには熟練工の技能伝承、現場の問題発見・解決の習慣などが含まれる。
- 制度・政策との関係:政府による技術政策や産業支援、貿易政策などが日本の自動車産業の能力構築を支える外部条件になってきたこと。輸出主導型の産業政策、保護政策や補助金、労働政策の整備など。
- 能力構築競争との関係性:藤本は、「自動車産業がどのような能力を、どのように構築し・維持・更新してきたか」を体系的に描くことで、能力構築競争という概念を具体化している。特に、「既存能力をベースに変化(技術変化・国際競争の変化)に適応していく力(ダイナミック・ケイパビリティ)」の蓄積過程を、自動車産業の供給チェーン・現場慣行・制度政策を通じて明らかにしている。
長岡 貞男・塚田 尚稔・遠藤 志久真:知識の組み合わせと研究開発
- 主な内容:このプロジェクトは、日本企業がどのように「知識の組み合わせ(combination of knowledge)」を通じて研究開発(R&D)での成果をあげてきたかを、マイクロデータを用いて実証的に分析している。具体的には:
- 各企業が持つ異なる技術分野・研究領域の知識をどれだけ横断的に使っているか。
- 知識の多様性/複雑性(knowledge complexity)が企業パフォーマンスに与える影響。たとえば、単純な改良だけではなく、新しい技術領域や他業種での知識を取り入れることでイノベーションが生まれるプロセス。
- 政策インセンティブ(研究費、税制優遇など)が、知識組み合わせの動機付けになるかどうか、またどのように設計すべきか。
- 能力構築競争との関係性:知識の組み合わせを重視する研究は、単なる能力の保守ではなく、能力を「拡張・刷新する」競争プロセスを描くものである。知識複合性の向上は、企業が環境変化に対応しうる基盤能力を構築することと等しい。
福澤 光啓:「日本企業のものづくり組織能力の構築プロセスと競争力に関する実証研究」
- 主な内容:この研究プロジェクトでは、特に日本のものづくり産業において、組織能力(organizational capability)の構築プロセスを、リーンプロダクション(lean production)や生産管理手法を事例に取りながら、どのように戦略形成・組織設計を通じて競争力につなげるかを実証研究している。調査対象には中小企業・部品サプライヤーなども含まれ、生産管理・品質統制・工程設計など、現場レベルの能力がどのような条件で発展・持続するかを分析している。
- 能力構築競争との関係性:この研究は「能力構築」の内部プロセス、つまり人的資源・現場の技能・組織文化・管理制度などがどのように結びついて競争力を作るかを明らかにしており、競争相手が同じ産業内にいる中で「より早く・より良く学び・改善する」能力がどのように育つかを可視化するものとなっている。
元橋 一之:戦略の即応性・柔軟性、サイエンス経済・オープンイノベーションの観点から
- 主な内容:元橋は、産業のグローバル競争力を強化するには、企業や国がただ技術を持っているだけでなく、「戦略の即応性(strategic responsiveness)」や「柔軟性(flexibility)」を持つことが重要、と主張している。オープンイノベーション(他組織・大学との共同研究、スタートアップとの連携など)やサイエンス経済(science-based economy)の観点を取り入れ、知の生成と応用のネットワークが能力構築競争での差を生むと分析している。 (RIETI)
- 能力構築競争との関係性:変化が激しい国際環境下で、どれだけ迅速に戦略を転換・適応できるかという点を重視することで、「競争力が過去の成功に縛られず未来志向である」ことを能力構築競争の要件として位置づけている。
菊澤 研宗:経営哲学とダイナミック・ケイパビリティ
- 主な内容:菊澤研宗は、経営哲学の視点から、「変化が常態化する世界」における日本企業が持つべきダイナミック・ケイパビリティについて論じており、ステークホルダー資本主義・株主資本主義の批判的な観点を含めながら、エンゲージメント(従業員・顧客との関係性)や倫理的・文化的要素も能力構築に含めるべきだと主張している。 (J-STAGE)
- 能力構築競争との関係性:技術・制度だけでなく組織文化・価値観・倫理観など「暗黙知」を含む幅広い能力が競争優位を左右するという視点を提供しており、能力構築競争を単なる技術・管理能力の話にとどめない拡張的理解に寄与している。
共通のテーマ・理論的枠組み
これらの研究者・プロジェクトに共通する理論的枠組み・キーワードを整理します。
| キーワード | 意味/理論的背景 | 研究者たちの使い方/貢献 |
|---|---|---|
| ダイナミック・ケイパビリティ(Dynamic Capability) | 環境変化に対応するために、既存能力を再構築・再配置する能力。Teeceらが提唱。 | 藤本も、福澤も、元橋もこの概念を用いて、日本企業がどのように変化適応してきたかを分析。例えば「戦略の即応性・柔軟性」がこの枠組みに含まれる。 |
| 知識の組み合わせ・複雑性 | 異なる知識領域・技術分野を組み合わせることで新しい知を創出する過程。イノベーション能力との関連が深い。 | 長岡・塚田・遠藤の研究がこれを実証的に分析。知識の多様性・複雑性が企業パフォーマンスにどう作用するかを定量的に扱っている。 |
| 組織能力 / 組織デザイン | 組織構造・管理制度・リーダーシップ・現場技能などを含む、組織が持つ能力の集合。組織の学習能力や現場の改善力を含む。 | 福澤のものづくり研究、また藤本の自動車産業分析で、部品サプライヤーや現場の構造・体制がどのように競争力を支えているかが分析されている。 |
| 戦略即応性/柔軟性/オープンイノベーション | 環境の変化(技術変化・国際競争・顧客ニーズの変化)に早く反応できる戦略の構築・転換能力。オープンイノベーションは組織外との知の交流を含む。 | 元橋の論考、「産業競争力強化」の文脈で特にこの点を強調。 また、政策提言として「研究開発制度や支援制度」を変革する必要性を指摘している。 |
| 制度的能力 / 政策環境 | 法制度・教育制度・産業政策・補助金制度・貿易政策等が、能力構築の外部条件として機能する。 | 藤本の自動車産業分析では、産業政策や貿易保護、補助制度が能力形成に与えた影響を論じる。長岡らの研究では政策インセンティブが知識組み合わせを促す要因として扱われる。 |
研究から得られる示唆
これらの研究から、能力構築競争について日本における具体的な示唆がいくつか引き出せます。
- 先行資源の活用と更新
日本の製造業は、過去から喪失しがちな熟練技能や現場改善の文化が、能力構築の先行資源となっており、それを保存・継承しながら新しい技術を取り込むことの重要性が繰り返し指摘される。 - 知識の多様性(diversity)を持つことの価値
異なる技術領域・業界間の知識連携や横断的な学びが、イノベーションや競争力の源泉になるということ。知識の組み合わせが単純な深化よりも高い成長に結びつくケースが見られる。 - 現場との密接な接続
組織能力やものづくり力は現場での改善・工程管理・品質管理などの地道な実践の蓄積によって育まれる。「現場改善」「カイゼン文化」などのキーワードがしばしば出てくる。 - 制度・政策の役割が不可欠
補助金政策、研究開発支援、産業政策、制度設計(規制・標準化など)は、能力構築の外的条件を整えるものであり、これら無くして能力構築競争での優位を維持することは困難。 - 柔軟性・即応性が差を生む
環境変化の頻度が上がる時代には、能力を「固定資産」のように扱うのではなく、変化に応じて再配置・再編成する能力が競争の分岐点となる。
限界と未解明の問題点
これらの研究が示すところだけでなく、まだ十分に解明されていない点・注意すべき限界もあります。
- 業種・規模間の格差:多くの研究は大手製造業を対象としており、中小企業・サービス業など能力構築資源が乏しい組織における競争力の形成プロセスは十分に分析されていない。
- 人的資本以外の要因:組織文化・倫理・暗黙知・社会的信頼など、「計測しにくい能力」の作用が過小に扱われることが多い。
- 時間軸の長さ:能力構築競争は「長期の累積プロセス」であるが、データ・研究は比較的短期間(数年~十年)での分析が主流。世代を超える制度の持続性や変化の累積がどう働くかは、まだ十分に理解されていない。
- 国際動態の取り込み不足:グローバルサプライチェーンや国際的な知の移動の中で、日本企業・研究機関がどのように能力構築競争で国際に対抗・協調しているか、そのダイナミクスは部分的には研究されているが、より深いケーススタディ・比較研究が望まれる。
全体の構造:能力構築競争の研究地図
これらの研究を組み合わせると、日本における能力構築競争の構造は次のように描けます。
- 成長産業(自動車・電機・機械など)における伝統的なものづくり能力 → 熟練技能・品質改善の文化
- 知識組み合わせ・イノベーションへのシフト → 研究開発・技術多様性・産学官連携
- 戦略の柔軟性・即応性 → 環境変化に対応する組織設計・経営戦略の刷新
- 制度環境・政策支援 → 研究開発支援制度、イノベーション政策、補助金等のインセンティブ
- 新しい課題:デジタル化・国際化・人口減少・地域格差
結論:研究者たちが語る日本の能力構築競争の核心
これらの研究者たちの業績から総じて言えることは、日本の「能力構築競争」の核心は、単なる技術力や資源量ではなく、「変化の予兆を感知し、それに対して迅速かつ柔軟に能力を更新・再構成できる力」である、という点です。
- 自動車産業や製造業のような伝統産業は、その歴史の中で蓄えられた「ものづくり能力」が基盤
- だがその基盤を維持するだけでなく、新しい技術・知識・制度を取り入れることが求められており、それが組織能力・知識複雑性・戦略的柔軟性と結びつく
- 政策・制度は、これを後押しする(あるいは阻害する)役割を担い、研究者たちはその制度設計やインセンティブ構造を分析してきている
能力構築競争の今後は、これらの要素をどう実践的・地域的に展開していくか、日本企業や自治体・教育機関がどれだけ学習する組織・地域をつくるかによって決まるでしょう。
